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東西出逢いの地とは

東西出逢いの地 関ケ原

関ケ原は本州のほぼ中央、北の伊吹山地と南の養老山地・鈴鹿山脈の狭間に位置し、古来より東西・南北の主要な街道である中山道と北国街道、伊勢街道が交差する、軍事・交通の要衝でした。
さらに「壬申の乱」「関ケ原合戦」と二度にわたる東西を二分する大きな戦いの舞台となりました。

その後の江戸時代では、260余年続いた平和のもと、交通の要衝であった関ケ原も、東西が対決する「戦いの地」から、街道を人々が往来し、東西の多様な文化が「出逢う地」へと変化していきました。

そして、現在の関ケ原には東海道新幹線、JR東海道本線、名神高速道、国道21号といった我が国の交通の大動脈が集中し、東西交通の要衝としての位置づけは今も変わりません。

かくして、関ケ原では、食、生活様式、言葉などの面で江戸を中心とした東国で発展した独自の文化と、大阪や京都など西国で継承・発展した文化の双方が出逢い、交じり合う地となりました。

関ケ原を境とした東西文化の違いについて

『出汁の違い』

西では昆布出汁、東では鰹出汁が好まれており、関ケ原がその境目と考えられています。
東西で出汁の嗜好の異なる理由は、江戸時代、昆布が主産地である北海道から日本海沿岸を通り大阪に至る西回り航路で運ばれ、上質な昆布は西日本で流通したこと、関東ではやや硬い水質が昆布出汁をとるのに不向きだったことや、鰹節の生産拠点が焼津にあったことなどと考えられています。

『お餅の形状の違い』

西では丸餅、東では角餅が主流で、関ケ原がその境目と考えられています。
東西で形状が異なる理由は、餅は神が宿る食べ物として、鏡に似せた丸餅が元来の姿でしたが、江戸では人口増加に伴う大量生産の必要性から、伸して切り分ける角餅が発生し、これが広まったなどと考えられています。

関ケ原を境とした東西文化

関ケ原を境とした東西文化

※参考資料:「東西文化の調査報告書」(岐阜県関ケ原町)
 関ケ原町を境とした東西文化の違いに関する調査については、関ケ原町HPをご覧ください。